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年中行事

春分(しゅんぶん)

出典:IBC冠婚葬祭辞典

春分とは、二十四節気(にじゅうしせっき)の1つで、陰暦二月の中(なか)です。現在広まっている定気法では、太陽が春分点を通過した瞬間、すなわち太陽黄経(たいようこうけい)が0度になる日を指します。 この日、太陽は真東に昇って真西に沈み、昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなるとされていますが、日本の場合、実際には昼の方が14分ほど長くなっています。 天球上で行動が赤道と交わる交点のうち、太陽が赤道の南から北に抜ける点が春分点で、太陽がこの点を通過するとき、つまり太陽の黄経が0度に達した時が春分であり、これを含む日が春分の日です。

日付や時期

3月21日頃。元々は旧暦で定められており、新暦では年により日が変わる場合があります。期間としての意味もあり、この日から次の節気の清明前日までを指します。

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由来・起源・制定

二十四節気は、紀元前の中国中原(ちゅうげん)、中華文化の発祥地とされる黄河中・下流域にある平原の気候や気温を考慮して作られた暦です。中国から日本に伝わったのは飛鳥時代と言われますが、地理的な関係から日本の気候や気温とは言葉的なズレや意味的なズレが発生することがあるとも言われています。日本でも使用されていた旧暦(太陰太陽暦)ですが、月の満ち欠けを元にしているために1ヶ月が約29日しかなく、太陽の公転による季節の動きとは1年で11日ほどズレが生じてしまうのです。数年に一度、閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作ることで対応していましたが、暮らしの上では不便でした。そのため太陽の動き(黄道)を元に1年を24等分して、季節の節目を表す言葉が付けられました。
日本でこの日が休日となる歴史は、1879年(明治12年)から現在まで続いており、1948(昭和23)年に「休日ニ關スル件(昭和2年勅令第25号)」が廃止されるまでは、春季皇霊祭という名称でした。

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行事や風習・慣習、季節に関する事項

日本では春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日として、国民の祝日に制定されています。この時期はお彼岸でもあり、ご先祖を祭り感謝する風習があります。季節の変わり目で、春は五穀豊穣を祈ります。

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脚注

(注1)二十四節気:1年を太陽の動き(黄道)によって24等分し、それぞれに季節を表す名前と付けたもの。農業などのための季節の指標。
(注2)二月中:二十四節気は、節と中が交互にあり、その2月中。
(注3)定気法:二十四節気を配置する方法の1つで、 周天を24等分し、太陽が1等分点を通過するごとに1つの節気の日付を定めたもの。
(注4)太陽黄経:太陽が天球上を通る経路(黄道)を等角に分割した座標。 特に春分点を座標ゼロとして360度に等分したもの。
(注5)旧暦(太陽太陰暦):1872年に採用された太陽暦(新暦)に対して、それ以前に用いられた太陰太陽暦を言う。月の満ち欠けと太陽の動きを元に作られた暦。
(注6)新暦:ローマ教皇グレゴリウス13世が制定し、1582年10月15日金曜日から執行されている暦法。 現在「太陽暦」として世界各国で用いられており、「新暦」と呼ばれる。日本では旧暦(太陰太陽暦)に代わって、1873(明治6)年から採用されている。
(注7)五穀豊穣:主食となる穀物「五穀」の豊作を祈ること。五穀の種類は諸説あり、主には米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)のこと。

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