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日本の祭祀・祭礼

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那覇大網挽(なはおおづなひき)

出典:IBC冠婚葬祭辞典

那覇大綱挽とは、沖縄最大の伝統文化催事です。みーんな(女綱)、をぅーんな(男綱)をかぬち棒(注1)で結合させて、西東に分かれて全長200mの大綱を挽き合います。1995(平成7)年ギネスブックによって「世界一のわら綱」と認定されました。現在では那覇ハーリー、ジュリ馬と並んで「那覇三大祭り」の1つに数えられます。2011(平成23)年より以前は「那覇祭り」と言われていました。

日付や時期

10月第2土曜~月曜日

由来・起源・制定

長い歴史を有する琉球王国(注2)時代の那覇四町綱の伝統を引き継いでおり、その発祥は1450(宝徳2)年頃だとされています。一般的に綱引きは地方の農村行事で、稲作のための雨乞い・五穀豊穣・御願綱(注4)を起源とするのに対し、那覇大網挽は町方(都市)を起源とした、交易都市那覇を象徴するものとなっています。
那覇は、古くは浮島と呼ばれた一港村でしたが、交易品を取り扱う御物城、親見世の設置、中国から渡来した久米村(注5)、天使館(注6)、在番奉行所(注7)(御仮屋)など公館の設置で次第に発展し、西村、東村、若狭町村、泉崎村の那覇四町と称される都市に成長しました。那覇大綱挽は、戦前那覇四町綱(注8)と呼ばれその那覇の発展とともに周辺の村々をかしー(加勢)として加え、なーふぁんちゅー(那覇人)の心意気を高揚する行事として続いてきたものです。

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行事や風習・慣習、季節に関する事項

メインイベントとなる大綱挽は、国道58号線の久茂地交差点で行われます。その他、民俗伝統芸能パレード、花火大会などが開催されます。
那覇大綱挽は古来から、各町の挽き手らによる行列(すねーい)と必ずセットで行うとされており、現在では、西七町東七町の各町の若者(にーせーたー)が黒色の股引半套(むむぬちはんたー)(注9)姿となって、各町のシンボルである旗頭(はたがしら)を持って各町内を練り歩くことから始まります。行進中は指笛、銅鑼(どら)(注10)、太鼓や爆竹が盛んに鳴らされます。

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脚注

(注1)かぬち棒:那覇大綱挽で男綱と女綱をつなぐ棒。
(注2)琉球王国:1429年に成立し、約450年間に渡って、日本の南西諸島に存在した王制の国。1879(明治12)年に沖縄県となる。
(注3)五穀豊穣:米、麦、粟あわ、豆、黍きびの5つの穀物が豊かに実ること。
(注4)御願綱:雨乞いや五穀豊穣を祈願するための農村行事として行われる綱引き。
(注5)久米村:現在の沖縄県那覇市の中心部に近い地域。この地域はかつて3つの川と海に囲まれた浮島で、そこに14世紀後半に中国大陸からの移民が住み着いて集落を作った。
(注6)天使館:琉球王国時代、中国が派遣した冊封使(さっぷうし=天使)のための施設・宿舎跡。
(注7)在番奉行所(御仮屋):江戸時代、幕府の命によって琉球(現・沖縄)を治めるため、薩摩藩の役人が勤務した場所。
(注8)那覇四町綱(なはゆまちじな):那覇大綱曳の戦前の名前。4つの町と周辺の町が西と東に分かれて綱を引いていたことに由来。
(注9)股引半套(むむぬちはんたー):那覇大綱挽の旗頭の持ち手である旗持ち(はたむち)身にまとう黒衣装。股引きに当たる。
(注10)銅鑼:青銅製で盆状の楽器。紐で吊るしてバチでで打ち鳴らす。

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